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植田 辰哉

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 名前  植田 辰哉(うえた たつや)
 競技  バレーボール
 生年月日  1964年7月25日
 出身地  香川県
 居住地  大阪府
 好きな言葉  驕兵必敗

 現在の活動 
 大阪商業大学 公共学部公共学科 教授
 姫路女学院高等学校 女子バレーボール部 特別顧問
 講演・バレーボール教室講師
名前植田 辰哉(うえた たつや)
競技バレーボール
生年月日1964年7月25日
出身地香川県
居住地大阪府
好きな言葉驕兵必敗

現在の活動
大阪商業大学 公共学部公共学科 教授
姫路女学院高等学校 女子バレーボール部 特別顧問
講演・バレーボール教室講師

大学卒業後、新日本製鐵(現、堺ブレイザーズ)に入社。センタープレーヤーとして、新人賞、ベスト6(5年連続)、ブロック賞、スパイク賞など数々のタイトルを獲得。日本代表としても活躍し、1992年のバルセロナオリンピックには主将として出場。6位入賞に大きく貢献した。1998年に現役を引退した後は、新日鐵、日本代表ジュニアチームの監督を歴任し、2005年に日本代表監督へ就任すると、2008年の北京オリンピック世界最終予選でアジア1位を勝ち取り、16年ぶりに日本代表をオリンピック出場へと導いた。出場権を獲得した瞬間、コートへ倒れこみ男泣きした姿は日本中に大きな感動を与えた。
代表監督を退任後は、早稲田大学大学院(平田竹男研究室)へ入学し、世界の強豪・ブラジルバレーの強化策などを研究。修士課程を取得し、現在は大阪商業大学公共学部公共学科教授を務める。また、組織マネジメント力をテーマにした講演会には定評があり、企業の経営層やスポーツ指導者から多数の講演依頼が寄せられている。

1989年 アジア選手権大会準優勝、ワールドカップ 6位
1991年  アジア選手権大会優勝、ワールドカップ 4位
1992年  バルセロナオリンピック 6位

日本リーグ新人賞
1987年

日本リーグベスト6 
1988~1992年 ※5年連続受賞

日本リーグブロック賞
1990、1993年

日本リーグスパイク賞
1991、1992、1994年

Vリーグ栄誉賞
2007年

1999~2002年     新日鐵(現・堺ブレイザーズ)
2003~2004年     ジュニア男子日本代表
2005~2013年     全日本男子代表

2005年  アジア選手権 優勝
2006年  世界選手権 ベスト8
2007年  アジア選手権 準優勝、ワールドカップ9位
2008年  北京オリンピック世界最終予選兼アジア大陸予選2位(出場権獲得)
     北京オリンピック ※16年ぶりのオリンピック出場
2009年  世界選手権アジア予選 1位
アジア選手権 優勝
ワールドグランドチャンピオンズカップ 3位(銅メダル)
※全日本男子の国際大会では32年ぶりのメダル獲得
2010年  アジア競技大会 優勝 ※16年ぶりの金メダル獲得

2005年
アジア選手権 優勝

2006年
世界選手権 ベスト8

2007年
アジア選手権 準優勝、ワールドカップ9位

2008年
北京オリンピック世界最終予選兼アジア大陸予選2位(出場権獲得)
北京オリンピック ※16年ぶりのオリンピック出場

2009年
世界選手権アジア予選 1位
アジア選手権 優勝
ワールドグランドチャンピオンズカップ 3位(銅メダル)
※全日本男子の国際大会では32年ぶりのメダル獲得

2010年 
アジア競技大会 優勝
※16年ぶりの金メダル獲得

Number Web「植田辰哉が“塾”を開講したワケ」
https://number.bunshun.jp/articles/-/853836

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